人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ステファノ

リヴォルノ。リヴォルノ。トスカーナ州のリヴォルノ県のリヴォルノ駅でホームに向かってアナウンスする彼こそが、これからお話ししたいトスカーナ一(いち)の幸せ男ステファノ。
今でこそ農園のチーフとして信頼をおかれ、11年前から農園のブドウ・オリーヴ畑、カンティーナを任されているが、彼が農園オーナーの宮川と初めて出会ったのは、さかのぼること1999年のある夏の日。
スヴェレートの街とお隣のヴェントリーナの街をつなぐ県道、松並木通りであった。最初の出会いは……と笑うステファノ。

鉄道員の仕事をしていた彼は、その日、1時ごろ出勤のためにヴェスパで風をきり最寄りの駅に向かっていた。ふと松並木通りで左側走行で走ってくる車を見た。
レキサスS400。宮川は一週間前に購入したその車をご機嫌でかっ飛ばし、前方の車を追い越すために対向車線を乗り越え、ステファノ側の通りを余裕で走行していた。
1971年14歳の時に起こしたヴェスパ走行中の交通事故が脳裏によぎる。全治9ヶ月を要した事故で、頭の上に開いた穴(窪み)が事故の悲惨さを物語る。私の手を握り彼の頭の上を探らせた。事故時に車の前方ガラスに飛び込んだときにできた傷。だから、僕は正確な人間ではないんだ。と堂々と言う。思わず笑いがこみ上げた。

ステファノの目の前、ぎりぎりで宮川はハンドルを切った。
すれ違いにステファノは運転する宮川(当時はまだ知り合いでなかった。)、その隣に座る妻のマリーザ、後部席に座るステファノのいとこを横目で見た。
そして、のち、いとこに こう尋ねた。
僕を殺したかったあいつは何ものだ!

そんなふたりが見えない縁に、あるいは運命によって引き合わされた。
僕はね、一度も農園へ来たくないと思った日がないんだ。とにっこりするステファノ。最初は心配だった。僕の父親はブドウ、ワイン作りの経験者だったけど、僕はそうではない。こんな広い農園のワイン作りをひとりで背負って立つなんて、不安でいっぱいだった。でも、宮川は一緒にやってみないかって言った。僕はね、こう答えたんだ。
半年のチャンスをくださいって。もし半年後、自分にその実力がなければ駅のホームに戻ります。

彼はホームには戻らなかった。
農園がグランドホームになったのだ。

by bulichellanippon | 2011-01-12 00:30 | トスカーナで一番幸せな男
line

ブリケッラ農園に腰を下ろして 早6年。有機栽培のぶどう オリーヴ 野菜 果物に囲まれた生活の中で 心がビオになっていく そんな農園で起こるできごとを お伝えしたく 四苦八苦で取り組んでおります。


by bulichellanippon
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31