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かもめとネコと服役者たちと私



2005年2月12日土曜日



碧い海を裂くようにして、連絡船は前進していた。
船が進むたびに白い波が踊る。波が踊る。踊る。ワルツ。
大きな輪が小さくなり、泡になって消える。
その繰り返し。
水色の空にうっすりと浮かぶ白い雲。それは、まるで、細くて白いクモの糸のようだ。
春を知らせるあたたかい太陽の光が私の体をやさしく包む。
風が…潮風がなんて心地よいのだろう。

振り返るとピオンビーノの岬が見える。
船が通ってきた道は、なんとも言えない綺麗な淡いエメラルド色をしていた。
でも、その道はいつまでも残る道ではない。
私を乗せたその船が、一瞬にして創った道。
“消えないで”…そう心の中で祈っても声は届かないように、海は再びもとの姿に戻ってしまうのだった。

穏やかな2月の日。
夏のじりじりと肌を照らす陽射しとは違う。
どこか、もの悲しい静かな海。
でも、私は…初めて訪れるその島に心持ち揺れていた。
そう、あの壁を見るまでは…。





連絡船が島に着く。
初めて降りるその土地に少しだけ心がわくわくする。
仲間とともに機材を運ぶ。そのわずかな重みも気持ちを反比例するようだ。
ナポレオンの牢獄となった、今は博物館として使われている古びた建物が、山の上から私たちを見下ろしている。99日間、囚われの身になったナポレオンもまた、その建物の中から私たちが船で渡ったこの海を眺めていたに違いない。

11時15分出港。1時間の旅を終えて、私たちを港で待っていた3台の軽自動車に乗り込んだ。潮風にまみれた空腹を満たすために、連絡船のチケット売り場に隣接していたBARで買っておいたパニーニをほお張る。
どっちがいい?
オーナーが私に尋ねた。どちらでも。そう答えた私に、
生ハムのパニーノを手渡しながら、じゃ、半分こ。と言って、もうひとつのハム入りのパニーノを食べ始めた。半分くらい食べ終わり、はいと言って交換する。
後部座席に肩を寄せ合うように、ぎゅうぎゅう詰めの車中、パンくずをボロボロ落としながら夢中でパニーニを平らげた。

まるで、小さな旅気分だ。
少なくとも私には小さな旅だった。
その目的さえなかったら…
一度は訪れたい憧れの島…エルバ島だったのだから…。
私が選んだ初めてのエルバ島の旅…その目的は“慰安訪問”。
私たちは慰安訪問の一行であった。
340人の服役者たちの眠る、1700年、スペインにより築かれた城への。



車が駐車場にたどり着いた時、時計の針は、そろそろ1時の針を指そうとしていた。
陽射しがあたたかい。
春はもう、そこまで近づいている。
私たちはしばらくの間、駐車場の隅の少し高くなったコンクリートに腰をおろした。
あたたかい陽だまりとパニーニで満たされた体は、いつの間にか、幸福感でいっぱいになり、うつらうつらと私を眠りに導くようだった。

何人かの仲間は、先に手続きをするために先頭にたった。
残りのものは指令を待ち、待機する。
私もその残りのひとりだった。
うつらうつらになった私の体はスーと力が抜けて、危うく後ろにひっくり返りそうになった。
一瞬、血の気が引く。
なぜなら、その下は、ちょっとした谷底になっていたからだ。
錆びて古びて忘れられた鉄のかたまりが、ひっくりかえって、その姿を放っていた。
昔は何かに使われていたことは間違いなさそうなのだが、それが何なのか分からない。
でも、そのことは、とかく私には重要なことではなかった。
ただ哀愁を帯びた、なにかに訴えるように、ないていたネコの声と姿が、妙に私の脳裏に焼きついて離れない。



どのくらい待たされただろう。
たいした時間ではないのに、ものすごく時間が経過した気がした。
仲間のひとりが深く重いため息をつく。
私もつられそうになり、空を見上げた。
100mくらい離れた駐車場から見える牢獄の上一面に広がる空、茶褐色の壁、その奥の建物。
かもめが…2羽のかもめが340人の服役者たちの眠る城の上を飛んでいる。
大きなつばさを広げ、その姿は優雅だ。
ふと見ると、城を囲む城壁に1匹のネコがいた。
トラネコだ。
お日さまの光を浴びて茶褐色の毛が金色に輝いている。
座って体をなめていたネコは、そのうち立ち上がり、のしのしと壁の上を歩き始めた。
そして、立ち止まり、宙をあおぐ。
しばらくして、ネコはまた歩き始めた。
一瞬、ネコの姿を見失った。
どこへ行ったのか、それとも消えてしまったのか?
壁を見つめた。
壁から出てきた。いや、実際には壁の下に下りたネコがこちらに向かって歩いてきていたのだ。
壁の色と同化して、まるで壁から抜けでてきたように感じた。
するりと、なんのためらいもなく。
ネコはこちらの世界へやって来た。

別のネコが姿を現した。
ノラネコか。
それにしては、どっぷり太っている。
あの、谷底の土の上を歩いていた。
すぐに威嚇の声が。
と同時に、そのネコは、もと来た道に逃げて行った。
テリトリーに入ったか?
あの鉄のかたまりの下から、そこを住居としているのであろうネコが顔を出した。
厳しい表情をしている。
甘さは、そこにはうかがえない。
野生の顔だ。
ネコは私の目を離さず、まばたきもせず、捕らえていた。
私は目を背けることができなかった。
まるで、攻撃されているかのようだ。
目を背けたほうが負けのような気になった。
だが、ネコはくるりと背を向け、立ったままションベンを、そのガラクタの山に浴びせた。
そして、姿を消した。
歌が聴こえた。
何の歌だったのだろう。
壁の向こうで、誰かが歌っていた。



先頭グループからの合図はなかった。
しびれを切らした私たちは、門の前へ移動することにした。
移動して、私は息をのんだ。
私の目の前にそびえたった門は、ずっしりと重く閉ざされていた。
表情がこわばる。
逃げ出したい欲求におそわれる。
“こんなはずではなかった。”なぜか後悔の気持ちが、じわじわと沸き上がる。
初めてのエルバ島、そこまでたどり着く間の小さな幸せな旅の思い出がヒラヒラと冷たい風にのって飛んでいった。

“入ってよい”という指令が出る。
あの門が、ゆっくり開かれた。
少しひんやりする。
その重苦しい門にたどり着くまでの木造の橋。
その左側にひっそりとたたずむオレンジの木。オリーブの木。
ま緑の葉が生い茂り、ところどころにオレンジの実が実っていた。
もう、二度とこのオレンジが見られなくなるわけではないのだ。
そう思いながら橋を渡る。
ふと、仲間のひとりが私に言った。
“…………nella tasca?”“ポケットに………?”
一瞬ドキッとした。
何も悪いものはポケットに入っていなかった。
“えっ?”という私の表情に
“Il documento?”
あぁ、パスポートのことか。
“うん、持ってるよ。”
そう答えて、ポケットのパスポートを握りしめた。



手続きは意外にもあっさり簡単な、適当なものだった。
ベルトが反応してピピと鳴った時は、ドキッとしたが。
でも、私の不安をよそに、中で働く人々の目に厳しさはなかった。
私のこわばった表情に、にこりと微笑む人もいた。
あの重い門の中は、ひとつの小さな街を思いおこさせた。

モノローグ…時間にすると40分間。
しばし、私たちは、あたたかい何かに包まれていた。
小さな空間を舞台代わりに使う。
100人近い観客を入れるスペースがあるだろうか。
壁に描かれた三銃士の姿。
教会壁画ともちがう不思議な雰囲気。
340人の服役者たち。
そこへ参加できたのは20人くらいだった。
彼らの顔は晴れやかで、希望に満ちた目を持っていた。
芝居に参加するということで、ドキドキを隠せない子どものような、ほおを紅色に染めた数人の若者たちがそこにいた。
今にもスキップしてしまうのではないかというくらい彼らの鼓動が伝わる。
モノローグ終了。
拍手がわく。
立ちだす者もいる。
心の中で、皆、“BRAVI!(ブラーヴィ)”と叫んでいた。



去っていく車の中、その島で教師として働き、今回私たち一行を港から城まで運んでくれたクリスティーナが、城に向かいこう叫んだ。
“ARRIVEDERCI!”“さようなら”
閉ざされた門の中の服役者たち、
空を飛ぶかもめ、徘徊するネコたち、そして城を抜け出し、またもとの混沌とした世界へ船で戻る私たち。
いったい本当の自由を獲得したのは誰なのだろう。

おわり

この旅を終えたあと、私はエルバ島からほど近い、トスカーナ地方の小さな街スヴェレートにある、BULICHELLA(ブリケッラ)農園にしばし腰を下ろすことにした。一面の畑の奥、西に広がる地中海を眺めるとき、そこに横たわるエルバ島の美しさに目を奪われ、そして物悲しい、なんとも言いようのない気持ちを覚える。
かもめとネコと服役者たちと私。
生まれた土地・環境・性別・人種それら全てに関係せず、この地球上に与えられた生命の尊さは変わらない。
どこで、何をしながら生きるのか、その選択肢は私たち人間だけに与えられたものではなく、生まれたものに対して平等に与えられた権利だと思う。
ただ、その権利のために生じる争い(人々は戦争と呼ぶ)のために、私たちは日々、大切なものを無くしている気がする。
大切なことは何だ。
この開かれた大地に答えは埋まっているかもしれない。
ひまわりの、ぶどうの芽が育つ。
ぶどうの、オリーブの実が育つ。
子どもたちが育つ。
人が育つ。
自然の恵み。
大地の恵み。大地の喜び。大地の哀しみ。
私の農園生活がはじまった。

# by bulichellanippon | 2009-11-05 02:26 | 農園や近郊でのできごと
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ブリケッラ農園に腰を下ろして 早6年。有機栽培のぶどう オリーヴ 野菜 果物に囲まれた生活の中で 心がビオになっていく そんな農園で起こるできごとを お伝えしたく 四苦八苦で取り組んでおります。


by bulichellanippon
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